ここは双海町
双海シーサイド公園より山に走ること30分
海を見れば青島の裏まで見え
陸を見れば松山を見ることが出来る
とても景色のよいところです。
時をさかのぼること江戸時代
大洲のお殿様が船を使い参勤交代
天気予報があるわけでもなく
出向時の天気はどこえやら
見る見る視界が悪くなり危うく遭難しかけたときに
双海の山の頂上から御光が射すではないですか。
危うく難を逃れたお殿様
あの山の頂上に「お堂を建てましょう」
という話を聞きました。
今現在も牛の峯様と信仰する方は多く
マイカーで訪れる人はもちろん
タクシーでお参りに来た方にも会いました。
一昨年には本堂の改修をさせていただき
今回は釣鐘堂の新築に携わらせていただきました。
本当にありがたいことです。
200数十年前の姿を復元すべく頑張ります。
復元のため木の大きさを測っています。
ちなみに使用材料はケヤキで柱の大きさは18cmもあります。
部材に入っている家紋です。
手前が牛の峰の家紋である「桔梗紋」、後方が江戸時代に大洲地方を所領した大洲藩加藤家の家紋「蛇の目紋」です。このことから、少なくとも200年近く前に建てられてことがわかります。
次に斗きょうです。
斗きょう(ときょう)とは、木造の寺院建築などで、主に柱上にあって深い軒を支える仕組みの事です。軒の重さをに伝える重要な役割を持っています。斗(ます)と肘木(ひじき)とを組み合わせたもので、様式・年代によって違いがあるのが特徴です。斗組(とぐみ・ますぐみ)や升組(ますぐみ)とも呼ばれます。
歴史ある建造物は、見ているだけでもいろいろなことがわかりますね。
牛の峰地蔵院の切り組です。
使用材料はケヤキです。
今回の工事は復元です。
200何年か前の状態に戻すのが仕事です。
使用していた部材がケヤキでしたのでそれと同じにしました。
ただ、乾燥材でなければいけません。
杉、ヒノキに代表される針葉樹
ケヤキ、桜に代表される広葉樹
針葉樹で最低1年大体2年
広葉樹で最低4年大体7年という具合で乾燥させなければ
狂いが生じます。
今回使用するケヤキもよく乾燥させたものを使用しました。
差し鴨居や木鼻、大洲藩の紋が入っている蟇股すべてに彫刻がされています。
その模様も同じに再現しています。
柱の大きさも同じですが
6寸「18cm」×6.5寸「19.5cm」もある立派なケヤキです。
巻斗、方斗、大斗全部で28個にもなります。
肘木も破風板も出来上がりです。
仕上げはかんなで削ります。
表面を削るとケヤキ独特の渋い色になります。
1つ1つ丹精を込めて仕上げています。
牛の峰の釣鐘堂のかたちが出来てきました。
木を1本づつ組み上げて当時の姿を取り戻していきます。
骨組みをあわしていく間釘や金物は使用せず、
ほそ、込み詮、くさびという部材でつなぎ合わせています。
以前の建物はそれで200年以上の耐久性を出しています。
あらためて日本の木工技術力の高さを感じています。
また、この技術は後世に伝えていかなくてはならないものだと思いました。
最近は、プレカットといって、大工による手刻みを
しなくなってきています。
大工の腕というものは著しく低下しており、のみ、かんなさえ使えない
人が増加しています。
いい仕事をしていれば、耐用年数の長い建物が作ることが可能です。
日本のすばらしい建築文化を守る上でももっと技術を磨いていきたいと思います。
釣鐘堂の完成です。
釣鐘は戦後に新たに造られたものだそうです。
戦争時日本政府に鉄砲大砲の弾として提出し
鐘のない釣鐘堂の時期があったそうです。
地元有志が団結し寄付を募り改めてつくったそうです。
8月21日まっすんの陽あたり良好で犬伏教授に説明していただきます。
今回も皆様の思いが込められ
200何年ぶりの建て替えに携わらせてもらえたこと感謝しています。